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蓮實重彦の『フーコー・ドゥルーズ・デリダ』(講談社文芸文庫)を読んだ感想

 日本人の批評家の本は興味がなかったのですが、訳あって読んでみることになりました。




 この本はフーコーの『言葉と物』、ドゥルーズの『差異と反復』、デリダの『グラマトロジーについて』に関して書かれています。



 この本を読んで思ったのは、きっと蓮實重彦さんのファン向けの本なんだろうなってことです。蓮實重彦さんに興味がない人が読んでも文体にぐったりしてしまう気がしました。私はぐったりしました。だいぶ癖が強い文体ですね。



 私の勝手な印象なのですが、日本人の批評家の本って例えば今回の話でいえば「フーコードゥルーズデリダそのものは読めないけど、なんとなく思想について知りたい」みたいな初心者層に需要があると思うんですよね。あるいはその逆にがっつり研究しているプロ層(及びセミプロ層)にも国内での議論や話題提供のため需要があると思います。一方で、海外の専門書を趣味で読むけれど研究はしていないという私みたいな中間層は日本人の批評家の本ってちょっと微妙なんですよね。あまり読むメリットがないというか。



 この本は基本的に初心者層というか蓮實重彦ファン向けなのだろうけど、最低限『言葉と物』『差異と反復』『グラマトロジーについて』は読んでおいた方がいいです。ですが、初心者層がこの本読む前にその3冊読んでるはずがないと思うんです。憧れで本は持ってるかもしれないけど、ちゃんと精読しているかといったら別で。そういう人たちがこの本読んでどれくらいわかるのだろうかと思いました。蓮實重彦さんは「こんなの当たり前だよね」っていう語り口でちょいちょいマウント(らしきものを)取ってくるのですが、そのとき初心者層はどう思うのでしょうか。「蓮實さんカッケー!」ってなるんでしょうか。あまり学者然としてない文体というか、ナルシシズムを感じるというか日本の女性作家のような文体に見えました。個人的には苦手です。



 プロ層がこういう本をきっかけに議論をすすめるのはいいことだと思います。そういう営みはリスペクトしてます。(ただ、この本は1978年に出たものみたいなので今からこの本をってことではないですが)



 私みたいな中間層にはあまり意味のない本とはいえるのですが、ただ、フーコー論は鮮やかに展開していて面白かったです! 私はとくにドゥルーズが好きなのですが、そのせいかドゥルーズ論はいまいちと感じました。デリダ論もデリダ読んだ方がいいよなと思ったりも。



 蓮實重彦さんの本でいえば『「ボヴァリー夫人」論』は興味があります! が、すでに絶版のようですね。古書で買うか図書館で借りるかするしかなさそう。『物語批判序説』は講談社文芸文庫電子書籍で読めるようなので次読むならそっちかな?