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エマニュエル・レヴィナスの『実存の発見――フッサールとハイデッガーと共に――』を読んだ感想

 レヴィナスの本は法政大学出版局の「叢書ウニベルシタス」からいろいろ出てますが、この本は1929年から1967年までの約40年間の論文をだいたい時代順にまとめたものです。原著と翻訳とでは少し構成が異なるようです。既訳の二論文を割愛して、代わりに未訳の論文ひとつを入れたものになったみたいです。



 全体は3部に分かれていて、第1部はフッサールハイデッガーについて、第2部は『全体性と無限』の時期、第3部は『存在の彼方ヘ』の時期といった構成になっています。第1部が読めたことが自分としては貴重でした。第2部以降はレヴィナス哲学ですね。



 私が20代だった頃はレヴィナス哲学はどうも説教くさく感じて苦手だったんですが、年取ったせいなのか最近また興味が出てきました。この本でいうと第3部は個人的には哲学というより詩のようなものだと感じるせいか哲学書の文体としてはあまり好みではないのですが、ユダヤ人である彼が説く倫理ってものに重みを感じるし、敬意を表したいと思っています。若い頃は直視するのが恥ずかしかったというか。詩のようだと言いましたが、今の現代社会で第3部みたいな文章をネットで書いても自分は頭いいと思ってる論客たちにぼこぼこに叩かれるだけで意味がないと思うんですよね。現代ではこういう文章を書くことが難しくなってる気がします。「それは科学じゃない! あなたの感想ですよねw」って笑われて終わるというか。哲学や倫理なんて真剣に考える人はますます少なくなってるでしょう。文学部廃止論もよく出てきますよね。



 レヴィナスのもとで学んでいた作家にパスカルキニャールという人がいて、その人のエッセイが水声社から出てるんですが、久しぶりにレヴィナスを読んでみたらキニャールはやっぱりレヴィナスにかなり影響受けてるなあと思いました。キニャールのエッセイ読んでたときはベルクソンだなあって思っていたんですが、今回改めてレヴィナス読んでみてやっぱりキニャールレヴィナスも感じますね。



 今回レヴィナス読んでみてやはり説教くさいなあとは思ったんですが、馬鹿真面目にレヴィナスが考えて書いているのを見ると、そういう冷笑的な態度は反省しなきゃいけないのかなと思ったりもします。私は結局平和ボケした日本人でしかないのだなあと。